【ドラマ感想】連続ドラマW コールドケース ~真実の扉~第10話(最終回)感想12月24日放送(主演:吉田羊・永山絢斗・三浦友和 ゲスト:ユースケ・サンタマリアほか)


 
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その他のドラマの感想はこちら→連続ドラマ感想一覧
コールドケース感想一覧はこちら→「連続ドラマW コールドケース ~真実の扉~」
先週の感想はこちら→コールドケース第9話感想

■あらすじ(公式HPより)
 郊外にたたずむ屋敷の庭から9つの頭蓋骨が発見される。百合は、頭蓋骨の眼窩に嵌められたガラス玉を見て、2カ月前、連続殺人事件の容疑者でありながら証拠不十分で釈放され、行方をくらませた赤松(ユースケ・サンタマリア)を思い浮かべる。30年前この屋敷で射殺されたのは、赤松の母親、静子(篠原ゆき子)であった。頭蓋骨が皆、母親が殺された部屋を見上げていることに違和感を覚える百合。そんなとき、1本の電話が……。

■ドラマ感想
 終盤になって思ったけど、このドラマ、幼少期のトラウマとか性犯罪とか闇が深すぎて辛いテーマが多い。誰のみにでも起こり得て、だからこそリアリティがあって、より残忍。そういった出来事が殺人の引き金になったりした人もいたようで、だからと言って殺人が正当化されるわけでは全くないのだけれど、観ている側のやるせないような悲しい気持ちは大きくなる一方で。
 今週は一旦逃げ延びたユースケ・サンタマリアと再度会いまみえるという展開だった。前回触れられていなかったユースケ・サンタマリアの過去が明らかになるにつれて、この殺人鬼にも一筋の同情の余地が湧く。そしてそれは猟奇的な殺人を犯す人間は何か特別な理由があってしかるべきだと述べているように感じた。本当にそうなのかな。
 最後、吉田羊とユースケ・サンタマリアが対峙し、最終的に吉田がユースケ・サンタマリアを銃殺してしまうシーン。昔小栗旬が主演のボーダーというドラマがあって、そのドラマでも最後、小栗が犯人を不要に殺すシーンがって、殺人者とそうでない人間のボーダーとは?みたいなものがテーマだったんだけど、今回のコールドケースもそれに近いものを感じた。
 確かに最後、吉田羊はやらなきゃやられるという状況にいたことは事実。ただし、本当に胸を打ち抜く必要はあったの?それは本当に殺したい、もしくは死んでも良い人間だと思ってしまっていたから狙いを定めていたということ?殺人は嫌だし、こいつのことを殺したいわけではないけど、こんな人間に殺されるぐらいなら自らが手を下したとしても、生き残る道を選択すべきだと思ったから?ただし、いかにせよ、殺人者の仲間入りをしてしまったという事実には変わりない。そのことに茫然自失になる吉田羊。それを見つめる同僚たち。同僚たちの表情は単なる仕方がなかったんだよと慰めるような優しい目というよりは、同情、哀れみ、軽蔑といった思いが含まれた目だと思った。ここに出てくる刑事たちはそれぞれそれなりの過去を抱えながらも、人としての道を外れることなく、生きてきた人たち。吉田羊もその人たちと同じ道を生きてきた人間だった。だが、今回ユースケ・サンタマリアを正当防衛が成立する事案だったとしても、人を殺すという選択でその道から一歩踏み出してしまった。これが意味することは何?
 このドラマはシーズン2を作るべき。というか続きが見たい。人殺しという選択をしてしまった吉田羊とそれを取り巻く刑事仲間たちの心の動きをどう描いていくのか見ていきたいと思った。暗い気分になってしまうドラマだが良作。さすがwowow25周年記念ドラマだけのことはあるね。
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