【大河ドラマ感想】真田丸第50話「最終回」12月18日放送分感想(主演堺雅人・脚本三谷幸喜・大泉洋・木村佳乃・長澤まさみほか)【あらすじ・ネタバレ】


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その他のドラマの感想はこちら→連続ドラマ感想一覧
先週の感想はこちら→真田丸第49話感想

■あらすじ(公式HPより)
 豊臣と徳川の決戦が始まった。大坂城を出て、野戦に持ち込む幸村(堺雅人)だったが、形勢は圧倒的に不利。死を覚悟する茶々(竹内結子)に、幸村は「望みを捨てなかった者にのみ、道は開ける」と諭す。やがて勝永(岡本健一)らの活躍により戦況は一転、豊臣方は徳川軍を次々と撃破する。だが秀頼(中川大志)のもとに、幸村が寝返ったといううわさが広がる…。幸村は、家康(内野聖陽)ただ一人に狙いを定め、一騎で突き進んでいく!

■ドラマ感想
 はあ、終わってしまった。衝撃のラストなどと色々煽っていたが、ふたを開ければ、盛大に余韻を残した視聴者に預けきったラストであったように思える。その余韻は心地の良いものであったが、そこまでに向かう展開は、これまでに至る数話と相違わず、ストレスのたまるものであった。
 
 その最大の要因は大蔵卿の存在。最終回までもしゃしゃり出て、重要な秀頼の決断を遅らせる小賢しい役回りであった。なんでも三谷幸喜曰く「ヒラリー・クリントン、土井たか子、三原じゅん子、井脇ノブ子、(三谷氏や峯村が所属する)シス・カンパニーの北村明子社長の5人を足して5で割ったような感じ」と大蔵卿の役柄を要望されていたようで。SNSは見ない方がいいとまで。あくまで、役なので本人には関係のないことではあるが、今回のこの役を引き受けたことが、この女優の今後のキャリアにあまりよくない影響を与えることは必須だと思う。最終回でもまんまと徳川からのニセの情報に踊らされ、患者であった料理番の嘘にも踊らされ、いったい何だったんだろう。
 
 そして、この最終回の一番の謎はこの料理番。この人の過去話などはどうでもよいのだが、なぜ幸村は生かしておいた?腹を切ったことで死んだと思ったのか?忍びの佐助がそばにいてそのような単純なミスをするはずがない。しかも、いくら腹を切ったからと言って、内密に処理しておこうとしたのならば、あの場に放置しておくはずがないのに。最終回でこの詰めの甘さはひどい。しかもこの料理番が大蔵卿の判断に一役買ってしまっただけではなく、大阪城に火の手が上がり、戦場の士気が下がるきっかけにもなってしまっている。

 そう、さらに気になったのはこのきっかけ。終盤、真田の計画通りにすべてが実行できれば、戦に勝てたが、ささないなきっかけで(勝手に動く人々)ことごとく悪い方に転んだという演出。最初は、「ああ、歴史って実際はこんなものなのかな」という風に思えたのだが、ここまでやられるとくどい、くどすぎる。今週は大蔵卿はもちろん、ひょうたんの下りや、料理番など。三谷幸喜が一時期に比べて落ちぶれたと言われる所以が最終回に来て、あからさまに出てしまった模様。自分が面白いと思った事柄を、これでもかと盛り込んでしまうのだ。それを適切な分量にそぎ落とす作業が下手になった。小林聡美と結婚していた時はそれができていたんだが。

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 もっと、本筋の感想に移ろう。幸村が家康と対峙するシーン。最初は緊迫感のある良いシーンだと思った。真田が一騎で攻め入って対峙できるのは武士の時代の独特なお互いを尊重する価値観がなせるものなのだろうかと納得。冷静に考えればいくら馬に乗っていても、途中で、その他大勢にやられてしまうのがふつうである。家康も、家来が襲い掛かろうとした際に、「手を出すな」と制止し、お互いの主張を述べ合うということができた。あれだけ逃げまどっていた家康も、いざというときには面目を保つ武士らしいふるまいをするものだと感心した。しかし、その後が最悪だった。まず、1発目をなぜ外すんだ!幸村!あんた、家康が「わしを殺しても何も変わらん」と言っていたのを、「それでも私はお前を撃たねばならぬのだああああ」とか騒いでたでしょうに!!その覚悟があるなら、初手からしっかり狙い定めて殺りにいきなさいよ!そして、2発目を撃とうとしたタイミングで、来たよね、秀忠。こいつが最後の最後で、ほんとうに嫌な奴になった。「逃げ恥」(ガッキーのドラマね)の好感度をアップをここですべて下げた感じ。っていうか、そもそも、なんで幸村は秀忠の軍勢が近づいてきたことに気づかないわけ?あれだけ開けた場所で、いくら背後からといっても気づくでしょ。気が付いた段階でさっさと撃ちなよ。幸村、おまえの覚悟はその程度だったのか?そして、その秀忠は、こちらではしっかりと武士同士の対決をしていたにもかかわらず、背後から狙い撃ちをしてしまうというね。最悪ですね。そして、それまで武士らしかった、家康もさっさと逃走。ただ、あのシーンは恐らく、もう、私たちのような武士の心をもつ武士の時代は終わったのだなという家康の心境もあったのかもしれない。秀忠が背後から撃つという愚行を喜々とした表情で為したのをみてね。
 で、そこからの驚きはサスケだよね。今までも読んだら絶対に出てくる感じが、忍者っぽくて好きだったけど、今回はどこから出てきたのあなたwまわり原っぱだから。世が世なら、あなたは引田天功をもしのぐイリュージョニストになっていたことでしょう。

 そして、最後の余韻シリーズ。まずは秀頼と茶々。戦地に行くことを必死にとめ、生きる望みをしっかりと説き、秀頼を大阪城天守から非難させ、静かに、恩赦を待つ姿。史実では死んだとされるが、その描写は全くなく、名前を書くし生き残れた可能性も感じさせる最後だった。
 次いで、その希望を託すこととなった千姫を送り届けた「きり」。真田幸村の戦う姿を初めて目に焼き付けてから、千姫を届けるという大役を成し遂げた。その後、大阪城に戻るとは言っていたが、実際にはもう火の手が上がっている以上、戻ることは叶わなかったはず。茶々や秀頼とともにいた姿もない。おそらく、幸村を探しに行ったと思いたい。
 そして最後に幸村。ついでにサスケ。寺での最後であったが、サスケが55歳という事実を公表する当たりが最終回で唯一三谷幸喜らしさが出た場面だったなと思う。そして切腹しようとしたが、切腹の場面は見せなかった。あれだけ、生きることを茶々に説いていた真田幸村がここで自害するというのは納得できないと思わせる演出だっただけにあそこでやっぱりやめたと踏みとどまった可能性を感じるラストだったと思う。だって、あの幸村だったらいいそうでしょ?もしくはねえ、これは凄い希望なんだけど、あそこにきりが駆けつけて、一緒に生きましょう!みたいな展開になっていて欲しいという妄想も。
 という風にラストは色々と想像できる余韻を残した演出でした。ただ、結局この手法は自分で結末を描く覚悟がなかったということの裏返しともいえる。史実に反して、生きたと明言することを避け、もしかしたら生きたかもね程度に抑えてしまったあたりに、三谷幸喜の限界を感じた。
 総括として、今回の大河は細かな人物造形や、ユーモアのセンスは秀でたものを感じたが、ストーリー全体としては駄作である。あれだけ煽っていた兄弟対決が、2戦とも肩透かしだったのももう少しどうにかして欲しかったものだ。最終回の真田陣営との対決も実の兄弟ではなく、ともに育った兄弟さながらの相手との描写で感動だったからねえ。ただ、今回の真田丸のMVPは間違いなく、きりでしょう。彼女の存在を長澤まさみと三谷幸喜が作り上げることができたということは数ある大河ドラマの中でも誇りに思っていいのではないでしょうか。
 ではまた。次回の大河であいましょう。
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